リャザンで有名な人といえば、20世紀を代表する偉大な詩人セルゲイ・エセーニンと、「パブロフの犬」でお馴染みのイワン・パブロフです。
エセーニンの生まれたコンスタンチーノヴァ村はリャザン市から約40㎞ほど離れた場所にあるため、アクセスがあまりよくありませんが、パブロフ博物館は市の中心にあるので、散歩がてら立ち寄ることができます。
リャザンクレムリンからも徒歩圏内で行けるため、時間がある方は是非見学してほしい見どころひとつ。
では、本日はリャザン州おすすめの観光名所、パブロフ博物館についてご紹介したいと思います。
- 【ロシア観光者必見】リャザン州絶対おすすめ観光名所「パブロフ博物館」①
- イワン・パブロフって?
- パブロフ博物館【Мемориальный музей-усадьба академика И.П. Павлова】
- パブロフの生家
- ピョートルの書斎【Кабинет Петра Дмитриевича Павлова】
- バルバラの部屋【Комната Варвары Ивановны】
- リビングルーム【Гостиная】
- ダイニングルーム【Столовая】
- キッチン【Кухня】
- リディアの部屋【Комната сестры Ивана Петровича Лидии】
- パブロフのおばの部屋【Комната тети Ивана Петровича Павлова】
- ピョートルの部屋【Комната Петра Павлова】
- ドミトリーの部屋【Комната Дмитрия Павлова】
- パブロフの部屋【Комната Ивана Павлова】
- まとめ
【ロシア観光者必見】リャザン州絶対おすすめ観光名所「パブロフ博物館」①
イワン・パブロフって?
イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(Иван Петрович Павлов)はソ連時代の生理学者です。
1904年に消化生理に関する研究でノーベル賞を受賞した初のロシア人で、犬を使った実験で有名ですよね。
パブロフは1849年9月14日にリャザンに生まれました。牧師の長男として誕生し、弟3人(ドミトリー、ピョートル、セルゲイ)と妹(リディア)がいました。5人のうち、パブロフを含む3人は研究者になりました。
5人だけでも驚きですが、実は10人兄弟でした。5人は若くして亡くなりました。長男のパブロフと末っ子のリディアは何と25歳差です。
パブロフ博物館【Мемориальный музей-усадьба академика И.П. Павлова】
リャザン市の中心、パブロフ通りにあるこの博物館は19世紀半ばに建てられました。イワン・パブロフは幼少・青年時代をここで過ごします。
パブロフの生家は1946年から博物館として一般に公開されています。博物館には2つの建物があります。まずは、パブロフが当時住んでいた建物。そしてもうひとつは、パブロフの研究に関する資料が展示されている建物です。
1度にふたつの建物を紹介するのは難しいので、本日はパブロフが1849年に生まれてから1870年まで住んでいた家をご案内します。
パブロフの生家
パブロフの生家は2階建てです。
1階は書斎、リビングルーム、ダイニングルーム、キッチン、そしてパブロフのお母さん、バルバラの部屋があります。
ピョートルの書斎【Кабинет Петра Дмитриевича Павлова】
この部屋はパブロフのお父さん、ピョートルが使っていた書斎です。本棚にたくさんの本がありますが、ピョートルはよく本棚の鍵を開け、こどもたちに本を読ませていたそうです。
ピョートルは子どもたちにとても厳しく、自分ができることは何でも子どもたちに教えました。偉大な科学者パブロフは、父の教育方針のおかげで死ぬまで研究に力を注ぐことができたのかもしれません。
ちなみに、パブロフのお父さん、ピョートルは、長男であるパブロフには跡を継いでほしいという願いがありました。パブロフも父の跡を継いで牧師になろうと思い、神学校へ通いましたが、ある日「生理学者の父」と呼ばれるイワン・セチェノフの『脳の反射』に出会い、そこから生理学者を目指すようになります。
↑パブロフの父、ピョートルの書斎
バルバラの部屋【Комната Варвары Ивановны】
この部屋はパブロフのお母さん、バルバラの部屋です。赤ちゃんのゆりかご、ミシンなどが展示されています。お母さんの部屋って感じがしますよね。壁には家族の写真が飾ってあります。
リビングルーム【Гостиная】
ここはリビングルームです。バルバラは、子どもたちに興味を持たせるために毎日本を読み聞かせていたそうです。本を読み終えると、子どもたちは自分で同じ本を何度も読み直し、自分が理解したことをお母さんに話したとか。
リビングルームにはピアノがあります。バルバラはピアノが弾けたので、よく子どもたちと一緒に歌を歌ったそうです。部屋の隅のテーブルの上にオルゴールが飾ってあります。これは当時のもので、今でも音色を聞くことができます(が、ガイドさんに案内してもらったときしか聞くことはできません)。
ダイニングルーム【Столовая】
リビングルームの隣にはダイニングルームがあります。ダイニングルームの隣に洗面器があります。食事の前に手を洗いました。
↑ダイニングルーム
↑ダイニングルームの隣にある洗面器
当時は水道がありませんでした。この洗面器は上の木の部分が開き、そこに水が貯められるようになっています。蛇口をひねると水が出てきます。下にはバケツが置いてあるので、流れた水はそこに溜まる仕組みになっています。
キッチン【Кухня】
廊下を抜けるとキッチンがあります。ロシアの代表的なキッチンで、昔用いられたペーチカやベンチ、サモワールなどが展示されています。ペーチカはロシア語のпечь(ペーチ)、つまり「焼く」という言葉からできました。ロシアのペーチカはオーブン兼暖炉として使われ、寒い日はペーチカの上に布団を敷いて寝ることもありました。部屋の隅にはイコンもありますね。当時水道はなかったので、長男だったパブロフが毎日井戸水をくむなどの力仕事をしました。
↑ペーチカ(向かって右側に上へのぼる階段があります)
1階は以上です。次に2階をご案内します。2階は子どもたちの部屋となっています。
2階にあがると、まずホールに出ます。ホールにはсундук(スンドゥーク)と呼ばれる箱があります。昔はこの箱を洋服ダンスの代わりに使いました。また、ここにはгородки(ガラツキー)というロシアの伝統的な民族スポーツの道具が展示されています。
↑городки(ガラツキー)
↑遊んでいる様子
ガラツキーは「木塊倒し」とも呼ばれ、ボーリングととても似ているゲームです。まず、決められたエリアの中に木の棒立てます。そして、離れた地点からバットのような長い棒(写真右)を投げてエリア外へはじき出すゲームです。
↑木の棒の立て方の例
運が良ければ、実際にガラツキーで遊ぶこともできます。運営者自身、一度だけやったことがありますが、簡単そうに見えて実はすっごく難しい。ボーリングのほうがよっぽど簡単です。
では、ここからは子どもたちの部屋を覗いてみましょう。
リディアの部屋【Комната сестры Ивана Петровича Лидии】
パブロフの妹、リディアの部屋です。
パブロフのおばの部屋【Комната тети Ивана Петровича Павлова】
ピョートルの部屋【Комната Петра Павлова】
ここはパブロフの弟、ピョートルの部屋です。ピョートルは動物学が専門で、狩りが趣味でした。lパブロフは、ピョートルが兄弟の中でもっとも才能があると思っていましたが、残念ながら24歳の若さで亡くなりました。
1977年の冬、兄弟4人は狩りに出かけました。しかし、乗っていたソリが誤って穴に落ちてしまいます。4人のうち3人は無事に登れましたが、当時12歳だったセルゲイは自力で脱出することができませんでした。そこで、ピョートルは弟を引っ張り上げるためにライフル銃を伸ばします。しかし、セルゲイがこれをつかんだ時、誤って引き金を引いてしまい、弾丸がピョートルのお腹に命中してしまいます。そして、ピョートルは息を引き取りました。
この部屋には、ピョートルが実際に猟で捕まえた動物のはく製が展示されています。
↑ピョートルの部屋
↑下を見ると…クマの剥製が
ドミトリーの部屋【Комната Дмитрия Павлова】
ここは化学者だったドミトリーの部屋です。壁には兄弟の写真が飾ってあります。部屋には、実験器具がたくさん並んでいます。ドミトリーは、「ロシア化学の父」と呼ばれるアレクサンドル・ブートレロフと元素周期表を作ったドミトリー・メンデレーエフと一緒に研究をし、有名な化学者になりました。
↑ドミトリーの部屋
パブロフの部屋【Комната Ивана Павлова】
最後はパブロフの部屋です。机の上には、彼が愛読書、ロシア人作家のレールモントフとクルィロフの本が置いてあります。壁にかかっている写真はパブロフのお母さん、バルバラです。フレームはパブロフの手作りです。昆虫採集が趣味だったパブロフの部屋には、世界中から集められた蝶の標本が展示されています。
↑パブロフの部屋
↑パブロフが集めた蝶のコレクション
パブロフの生家の案内は以上です。
まとめ
いかがでしたか?パブロフの生家とても豪華ですよね。
特に、エセーニンの生家と比べたら一目瞭然です。
家は広々としてるし、子どもたちは自分の部屋があるし。
中に展示してあるものは当時使われていたものがほとんどなので、見る価値大です。
ガイドさん付きだと詳しく案内をしてくれますが、英語ができる人が常にいるわけではないのでご注意ください。
なお、詳細は公式サイトをご覧ください。
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